探物語ー試考索語ー

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「ニーバーの祈り」と『wait&see〜リスク〜』について

THE SERENITY PRAYER
 
O God, give us
serenity to accept what cannot be changed,
courage to change what should be changed,
and wisdom to distinguish the one from the other.
 
Reinhold Niebuhr
 

(日本語訳)

ニーバーの祈り
 
神よ、

変えることのできるものについて、
それを変えるだけの勇気をわれらに与えたまえ。
変えることのできないものについては、
それを受けいれるだけの冷静さを与えたまえ。
そして、
変えることのできるものと、変えることのできないものとを、
識別する知恵を与えたまえ。
 
ラインホールド・ニーバー

 

キリスト教の授業を初回8分で抜け出したボクですが

これは多分有名なんだと勝手に思ってます

この祈りについて

誰が言ったのか(本当にニーバー神父なのか

どのように広まったのか(断酒キャンペーンなど

この一文を巡って様々な説があるようで

たかが一文

されど一文

自分の創り出した表現がここまで議論されるなんてどれだけ幸せなのだろう

 

宇多田ヒカルの『wait&see〜リスク〜』には

「変えられないものを受け入れる力

そして受け入れられないものを変える力を

ちょうだいよ」

とあって

この部分が先のニーバーの祈りから引用してるというのが通説()らしいです(宇多田ヒカル本人がそう言ったという記録は見つけられません

 

整理してみると

ニーバー「変えることのできないものについては、それを受けいれるだけの冷静さを与えたまえ。」

宇多田ヒカル「変えられないものを受け入れる力」

と対応しているのは分かります(両者とも常識的なことを言ってると思います

 

ただ

ニーバー「変えることのできるものについて、
それを変えるだけの勇気をわれらに与えたまえ。」

宇多田ヒカル「受け入れられないものを変える力」

と対応しているかと言えば違うでしょう(ニーバーは先程と同じく常識の範囲内の表現ですが宇多田ヒカルは攻めてるイメージです

 

宇多田ヒカルの歌詞に関する解説()サイトは多くありますが

この部分に関しては「ニーバーを引用しています」というサイトしか見かけないのでスッキリしません

引用しているのは流石に明らかなのですが

表現を変えた理由が他の歌詞から探ってみても分かりにくいのです

 

以下は持論ですが

・ニーバーの祈り(対応していない部分)に不満を持ったから敢えて変えた

・対応していないニーバーの箇所が宇多田ヒカルの言いたいこと(和歌の本歌取りのように

・ニーバーの祈りを一部引用した言葉遊び

まぁ

結局最後のが一番納得がいく訳ですが

その言葉遊びが高度過ぎて中々手が届かないから歯痒い

 

歌の最後の部分では微かに

Don't believe until you see all there is to see

と聴こえてきます

取り敢えず

wait&see

様子見が丁度良いのかもしれません

 

チャウコン