探物語ー試考索語ー

書籍編集者     

小言

 

 

ただの細かい指摘ですが

他に違和感がある人が検索した時にヒットすれば幸いです

 

“1人サボったら全員で掃除…生徒の「連帯責任」は強い個を育てない、時代遅れのナンセンス”


 引用元

Yahooニュース

https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20191109-00052663-otonans-life

一応別の所も

https://news.nicovideo.jp/watch/nw6155905

 

 

連帯責任はどうでも良くて

確かに馬鹿らしく思うこともあるけれど

それは置いといて

 

その背景を五人組や隣組で裏付けている点が少しだけ間違っている

 

五人組や隣組

同列で連帯責任の史実に分類するのは

雑な気もするけれど

それもやはり個人的なことだから置いといて

 

 

一言で言えば

目的と結果を取り違えている

 

これらの制度の

目的は相互監視

結果が連帯責任

 

ざっくり言えば

相互監視を元に犯罪抑制を狙っているのであって

そこからはみ出した者に与える罰たる連帯責任とは無関係です

 

連帯責任があるから犯さないのではなく

周りの目があるから犯さない

そういう環境を作りたかった訳だし

一人一人個別に対応するのは不可能なので

何かあった時はその共同体で収めてもらう

 

(蛇足的な例ですが

ベンサムパノプティコンと似ていて(同じではない)

監視の目を自分の中に持たせることが目的です)

 

連帯責任を負わせるために

これらの制度を作った訳ではない(それは結果であり処理の話)

 

(よく分からないなら徂徠学が良い史料になると思います)

 

なので

この(有名?な)教育評論家 親野智可等氏の論の持っていき方は間違ってます

 

 

また

隣組を国民を“管理”するため

と言うのも適切ではないでしょう

管理よりも統制です

 

統制は管理に含まれるので間違ってはないですが表現が緩い

1+1=の答えに

正の数です

って答えてる様なもの

 

マネジメントとコントロールでは意味合いが異なります

日本史以前の問題です

 

 

 

以上

クソ嫌味な指摘でした

別に

記事で主張してることは何も(

歴史に触れる機会を提示するのは良いと思います

 

これが細かくやりたい人の目に触れられれば

それで良いのです

いちいち指摘してたらハゲます

 

 

まぁ

時の支配者が(顔も知らない)末端までの“距離感のある”支配を効率的に行うためには有効だったのであり

担任の先生とその生徒という“距離感のない”関係では

連帯責任なんて非効率的でしょう

時代遅れなのではなく

そもそも適用する場面から間違っている訳です

そこに気付かず

歴史を都合良くテキトーに引用して

最後の雑な結論の持っていき方で極論染みたことを宣う教育評論家って(

 

また嫌味を言ってしまった

 

チャウコン